2017年03月12日

消すことのできない後悔・・・

「早く寝ろよ!」「うん。」

大学に入学して約1ヶ月、新たな生活が始まった自分と就寝前の父とのおざなり的な会話。その会話を最後に、その夜父は脳卒中で意識を失い、病院に運ばれ意識が戻らないまま還らぬ人となった。

父が亡くなった歳近くになった今、育ててくれた感謝の気持ちを直接伝えられなかったことへの後悔が年々大きくなっていく。

その時が最後だとわかっていたなら・・・。

もし父との明日が来ないとわかっていたなら・・・。


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昨夜、母の買物介護に行った帰り際、母が自分に向かって言った。

「今日はありがとね。」

後悔がひとつ減った気がした。

日常に慣れ、春日井から週一で通っての買物介護や生活環境改善、仕事もできなくなるし、ちょっと大変だなぁ、という気持ちが芽生え出していた矢先、6年前の3/11に出張滞在中の中国で考えたことを改めて思い出させられた。

母が亡くなった後に後悔しないように、自分が亡くなるときに後悔しないように、6年前の生まれ故郷の被災はそれを考えさせてくれて、人生を変えることへの後押しをしてくれた。

母からあと何回「ありがとうね。」と言ってもらえるのだろう。多ければ多いほど後悔は減る。

母との明日が来ない日が来たときに、後悔しない自分でいられるよう行動していかなければ・・・。
posted by すまいるクロス/みなかた at 15:23| Comment(0) | 徒然

2017年03月07日

あつらえ写真が撮りたい

小林せかいさんの「未来食堂ができるまで」を読んだ。せかいさんの考えがめちゃ響いた。

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未来食堂のコアメッセージのひとつが「あなたの“ふつう”をあつらえる」。

あるお客様にとって”特別な”一品として提供したものは、同時に誰かの”ふつう”でもある。

「今日はちょっと甘い卵焼きを食べたいなぁ」、と思っているお客さんに提供する卵焼き。それは、それを望んでいるお客さんにとっては”特別な”卵焼き。でも、あえて望んでいない人にとっては単なる”ふつう”の卵焼き。

「撮影させて頂いた方の”ふつう”をあつらえた写真」

が自分が撮りたい写真なんだなと強く思った。

たとえば、自分は子供が泣いたりしても、それが怪我とか痛くて泣いているとかでなければ、なんらスタンスを変えることなく撮り続ける。残るのは、オシャレとかかわいいとかとは全然別物の、子供が泣いているというごくごく平凡な”ふつう”の写真。でもそれは、ある人にとっては、わが子が泣いている”特別な”写真。

誰が食べてもおいしいと思う高額な”ふつう”の食事、ではなく、ある人が食べたいと願っている高級ではない”特別な”食事、未来食堂はそれをあつらえとして提供する食堂。

自分に置き換えると、誰がみてもパッと見、オシャレ、カワイイ、カッコイイなどの印象が強い、いろいろ手間をかけた”ふつう”の写真ではなく、パッと見はごくごく平凡で”ふつう”だけど、ある人にとっては”特別な”写真、そんな撮影を希望してくださった方へのあつらえ的な写真をお渡ししたい。

今日は「よちよち歩きができるようになった今の時期の写真を残したい。」というママさんの要望を頂いての撮影。なんら準備することもなく、待ち合わせ場所で落ち合って、状況に合わせてパシャパシャと撮った、子供が歩いている平凡で”ふつう”の写真。

でもこの写真は、自分が、ママと子供に対して”ふつう”をあつらえて撮った”特別な”写真、であることを感じてもらえると嬉しいな。
posted by すまいるクロス/みなかた at 18:22| Comment(0) | 活動理念